人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アラベスク

日本の実家にあったピアノの楽譜を、これから息子が使うかもしれないなと思って何冊かスーツケースに入れてイタリアに戻ってきた。

私が子どもの頃習っていたピアノの先生は、当時の住宅街では珍しい洋風のお家に住んでいて、いつも身なりを綺麗にしている若い先生だった。私のように練習もせずのほほんとやって来る生徒には困っていただろうな。
懐かしのブルグミュラーを開いたら、先生の楽譜への書き込みの筆圧が強過ぎて、精一杯の力で消しゴムを当てても消えない。アラベスクには、ラスト部分何もここまで強調しなくてもいいだろう、というぐらいのクレッシェンド記号が加えられている。あれは練習してこないで私への苛立ちでもあったのかもしれない。
娘がそれを面白がって、大げさな強弱記号をつけてアラベスクを弾いてみせる。

アラベスクにはもう一つの苦い思い出がある。

私が預けられていた保育園は体を育てることに力を入れていたらしく、園児に裸足で泥遊びをさせたり、裸で水遊びをさせたりする教育方針で、私はそういうことが苦手な子どもだった。保育士は裸足でもなく、水着を着ていて子ども心にもなんて不公平なんだと思っていた。

午後には体育室でリトミックがあり、保育士の弾くアラベスクに合わせて側転運動をしながら体育室を一周する慣しがあった。心の準備と助走は最初の2小節のみ、出動の順は決まっているので遅れることは許されない。私はこのアラベスク体操が怖くて、この時間は教室の隅に隠れていつも震えていた。

その保育園では場面寡黙だった。
保育士に何か話しかけられても首を縦か横に振ることしかできなかった。

「だからママは友達に、人形と同じだって言われてたのよ。」
子ども達に話すと、息子はむっとした顔をして
「何だよそいつ、どれぐらい馬鹿」
(イタリア語の影響で息子は時々こんな言い回しになる)
娘も同じようにそれはないわ、と言う。

場面寡黙だった頃の話をすると大抵、「えーそんな時代があったの」と驚かれることが多かったので、子ども達の反応が意外だった。混血の子ども達は日本、イタリアどちらに行ってもなんとなく周りと違うと感じているのか、同じくマイノリティの子どもに共感しやすいのかもしれない。
あの頃、親にも保育園が辛いと言えずにいて、長い年月がたって自分の子ども達が小さな私のところへ手を繋ぎに来てくれたような気がした。自分の子ども時代を編み直してくれるのが自分の子ども達だなんて、生きてると面白いことがあるなあと思う。
by ayusham | 2014-09-24 18:28 | 日記