懐かしい場所

冷たい雨の中とぼとぼとミゼリコルディアを歩いていたら、アート・ギャラリーのウィンドウに一点、児童画が混じっているのを見つけた。
それは鉛筆描かれたワニで、白木の枠に丁寧に、可愛らしく収められていた。
ちょっと足を止めて、通り過ぎて、やっぱりなんだか気になって戻ったら、中にいるアジア人男性においでおいでと手招きされた。

アジア人男性が日本で生まれ育った方でないことは、その開放的な感じのよさと真っ直ぐな笑顔からすぐに分かった。
彼は日系ブラジル人2世で、1989年からずっとヴェネツィアで絵描きとして暮らしているという。児童画は彼のお子さんの絵だそうだ。
スタジオCODEX
彼の絵を見ていると、肉体から離れた自分の魂がヴェネツィアの街を漂って、故郷に帰ってくるような懐かしい感覚になる。児童画のワニもシンプルな線画なのになんだか見ていると自分がどこにいるのか分からなくなって、だから引き寄せられてしまったのだ。


「あなたは、キシさん。」
「ハイ、コウカキマス。(貴...)」
「ああ、この漢字は。関西の方ですね。」
「ハイ、コウカキマス。(貴志...)」
「大阪?いや、貴志川だから、和歌山?」
「ハイ、ワカヤマ!」
キシさんはありがとう、と言うようににっこり笑った。和歌山県は彼のお父さんの故郷だそうだ。
カンだけど多分、彼自身は一度も日本に行ったことがない。そのきっと行ったことのない、きっと大好きだったお父さんの故郷を、全く彼の情報を知らない他人がきちんと言い当ててくれたことに満足したようだった。
「お父さん、和歌山」
「ハイ、オトウサン、ワカヤマ」
私とキシさんは何度も繰り返して頷き合った。共通の感情は時に言語を越えていく。



昔、某歴史資料館に傘を忘れた。
受付で自分の名前を紙に書いて伝えたら、館長さんが出てきて(占い師ではない)「あなたのご先祖様は1500年前の大陸からの渡来人でしょう。」と言われた。
ここヴェネツィアでも、歴史学の先生から同じように指摘された。私の先祖は大陸の食器職人である可能性が高い。

多くの日本人は私の名字が読めない。書き方を口頭で伝えても伝わりにくいことが多い。
しかし、中国人に彼らの音で伝えると、一度で伝わる。
行ったことのない場所を懐かしいと言うのは変だけど、魂がふわっと、キシさんの絵のように視点を変える瞬間だ。
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by ayusham | 2017-02-15 02:18 | Comments(2)
Commented by poirier_AAA at 2017-02-15 20:56
貴志という漢字を教えてもらったとしても、わたしなら和歌山どころか関西の人だともわからなかった。日本のことなのにね。

何かを知っているかどうかで、アンテナにひっかかってくるものの量も、そもそもアンテナの感度も、その先に見える世界の広さも違ってくるんだなぁと思って。歴史や地理はちっとも好きではなかったけれど、いまはうわ〜こんなに大事なことだったのか!と何をしていても思うんです。

貴志さんの絵、いいですね。
Commented by ayusham at 2017-02-16 17:10
>梨の木さん
え、ほら「黒い家」の貴志祐介とか、名誉永久駅長の三毛猫
たまちゃんとか。

私は地理歴史は全然詳しくないのですが、大人になってからも学べるし学びに終わりがないから面白いですよね。
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