ジニのパズル

正月にAmazonのUnlimited(読み放題プラン)を解約した。読み放題は魅力だったけれど、読んでも読んでも心が満たされず私は栄養不足に陥ってしまった。ファストフードを食べ続けたり、好きでもない恋人をとっかえひっかえしたりするような、自分を消耗させる読書もあるのね...

年も改まって、本好きの友人が2016年に読んだ本のベストとしてあげた「ジニのパズル」を読む。

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筆者は1985年生まれの在日韓国人。
(日本では2016年5月にヘイトスピーチ法が成立したこと、同年7月にジニのパズルが発行されたことを心に留めておきたい)

芥川賞候補作である。
あまり推敲されていない、構成も特別に練られていないところが、賞を逃した理由かもしれないが、読者には受賞の有無など関係ない。その勢いこそがこの本の魅力でもあった。
数日かけて大事に読もうと思っていたが、作品の勢いにぐいぐいと引きずられて一晩で読んでしまった。


舞台はオハイオ州の高校、東京の朝鮮学校。合間に北朝鮮に帰国した祖父や家族からの手紙、ホームステイ先の絵本作家ステファニーのエピソードなどが挟まれる。
発達障害のジョン、聾唖のマギー、日本育ち北朝鮮国籍のジニ、とマイノリティの登場人物のパズルピースで少しずつジニのパズルは埋められていく。

ジニはでこぼこした扱いにくい性格であることを自覚している。
朝鮮学校では朝鮮語を一切覚えようとせず、テスト答案を全て「金正日、金日成」と書いて埋めてしまうなど、周囲からの反感をかうことは容易に想像できる。
それでも、いじめを途中で放棄してジニを放っておくユンミ、新しい生活になじめるよう親身になってくれるニナ、上級生のリンチを身を挺してかばってくれる男子クラスメイトのジェファン、朝鮮語の分からないジニの為に日本語で授業を進めてくれる教員達、勉強しないジニの退学を延ばすオハイオ州の校長など、この本はジニの壮絶ないじめ物語ではない。

このぐらいのマイノリティさだったら、私も外国人であり、日常的に生活の中での言葉や待遇の不自由さを経験している。冒頭のジニのように、ヘッドフォンをして雑音を入れず好きな音楽を聞いてやり過ごすことは、そう、きっと誰だってしているのだ。

しかし、ジニがある日、朝鮮学校で革命を起こすことで物語は展開していく。
きっかけは、毎日教室で眺めていた金一家の肖像画である。

自分の傷を言い訳に、よりよって最も大切な人たちを、傷付け、騙し、欺き、追いやり、日の当たらぬ闇の底へー自ら這いつくばって抜け出すしかない奥底まで突き落とした人間。それが私だ。

革命後、ジニは「社会のゴミ」となり、「隔離された、この世界からはすっぽり隠された空間」で、「宇宙のゴミ」である星と会話する。

「星は言った。もう会えないよって。だけど私を落ち着かせるようにして星は続けてこう言ったんだ。明日にはまた別の星が輝いているから大丈夫よ、って。わざわざ私が輝かなくても、別の星は必ず輝いているから、だから大丈夫なんだ、って」


ジニと一緒にパズルピースを埋めていくのが辛くもあったが、この本は想像していた社会派小説でなく、力強い青春小説だった。落ちてくる空を受け止めて、私達は時に輝いたり、ゴミになったりしながら、そしてまた輝く。言い訳を作って、輝くことから逃げるのはやめようと思った。
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# by ayusham | 2017-01-06 18:16 | 本・シネマ | Comments(0)

2017年抱負

明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

キキ3歳になりました。

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休み時間にに駅前のトイレに行ったら教室に戻れなくなる、という初夢を見ました。
舞台は何故か日本の山間の村でしたが、心のどこかで焦っているのかな?
それがおまえの深層心理だ!と言われれば、何でも当てはまる気はする。



2017年抱負を記します。年末に振り返った時に、自分に頑張ったで賞をあげられますように。

美味しいものを沢山食べたい+作りたい。
友達が簡単に作れるよ、と言っていたヴェネツィア料理をどしどし作ってゆきたい。
今朝早速ティラミス用のマスカルポーネとサヴォイアルディを買ってきた。
上手に作れたら、新年会でも披露するつもり。

美しいものに沢山触れたい。
先日ペーサロ宮では、アンが一番私に見せたかったという印象派の画家ホアキン・ソローリャの作品は外にお出かけしていて見られなかったのだ。
市内にある11の市立美術館へも足を運ぼうと思う。

ブログ名八年前の自分とは違っているから少し付け足す
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# by ayusham | 2017-01-02 19:49 | 日々のこと | Comments(0)

アンと私

3年間お世話になった息子の担任教師はなかなかの気分屋だった。

息子は秋から私立学校に転校したのだけれど、転校先のクラスには随分先に同じ理由でアンの息子が先に転校してくれていて、クラスの様子や信頼できる担任教師の話を聞いていたので全く、不安はなかった。


アンはここヴェネツィアで私が信頼する友人の一人だ。

マルセイユ出身だけれど、国連職員としてタイ、スペイン、イギリス、イタリアで働いてきて、祖国よりも海外で過ごした年月、とりわけヴェネツィアで過ごす年月が一番長いと言う。彼女の家は南仏ベースにエゾチックな香りがあって、温かいお茶とお喋りにいつも落ち着く。アンの息子は彼女によく似ている。

友人として付き合っていくのに、好きなことよりも嫌いなことや許せないことが同じことが大切な気がする。彼女は見栄を張ったり媚びたりすることを嫌う。彼女を見ていると着飾らないこともスタイルだと納得する。私も大きく影響を受けたと思う。彼女は金髪で、着古した素材に青碧がよく似合う。アンの息子の瞳の色とリンクしている。彼女の父の瞳も同じ色だそうだ。

私はまだ自分に何色が似合うのか分からない。
今日はこれからアンと一緒に美術館(ペーサロ宮)へ行くので、私に似合う色、聞いてみようかな。
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# by ayusham | 2016-12-28 21:34 | 日々のこと | Comments(4)

東京の香り

ドリップ用のコーヒー粉を買おうとして、間違ってコーヒー豆を買ってしまった。
捨てるのも勿体ないし、と気まぐれでコーヒーミルを買う。

片手で持てる位の小さなコーヒーミルが届いた。早速豆を入れて試してみる。
ぐわわん、ぐわわん。

挽きたてのコーヒー。
香りも、味も全然違うではないかーーー。

家で飲むにはイタリア式のエスプレッソではなくて、アメリカ式のドリップが好きなので、今までコーヒー粉を手に入れるのはかなり苦労していたのである。イタリアのバールでアメリカンを頼むと、エスプレッソのお湯割りが出てくる。それ程イタリアではマイナーな存在なのだ。
だから入手できる時に買いためていた。しかしそれは、粉を酸化させて風味を飛ばしていたということでもある。

このミルでいつでも好きな時に、飲む分だけドリップに合う挽き方ができる。
コーヒー好きの人には、挽きたての豆でコーヒーを淹れるなんて当たり前のことなのかもしれない。

いつも美味しいコーヒーを淹れてくれた、東京時代に住んでいた寮の友人のことを思い出した。
器用な彼女は食べ物でも玩具でも何でも手作りしてしまって、あまり片付いてない彼女の部屋でそんな作品を眺めながらおしゃべりする時間が好きだった。

コーヒーが好きになったのは、彼女とのあの時間があったからなんだなと気付いた。
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# by ayusham | 2016-11-30 08:04 | 日々のこと | Comments(0)

イタリアは男尊女卑の国

イタリアで働く友人の邦人女性がSNS上で
「取引先の相手に体を触られるのが嫌だな。まあ仕事はできる人だからしょうがないか。」
と書いていて、それに対して同じくイタリアで働く邦人女性たちが揃って
「イタリアあるあるだね」
と答えていて驚いた。
友人は賢く、自己主張もはっきり出来そうな人だ。

幸いイタリアで私はそんな目に遭っていない。しかし、日本では、あった。
日本でもあるあるだ。

更に彼女から、
「アユーシャさんは、こういう男性を許す派?許さない派?」
と聞かれて、目が点になった。

私にとってセクハラは許す、許さないの問題ではない。
人種差別を許す派?許さない派?
飲酒運転を許す派?許さない派?
なんて質問自体があり得ないのと同じだ。

体を触られることもだし、そんな風に「適当に扱ってもいい対象に自分がなる」ことに傷付く、
いやちゃんと傷付きたいと思う。

しかし許さないことで相手の機嫌を損ねて雇い止めに遭ったり、給料が未払いになったりする場合、家族の生活を考えて受け入れてしまう状況は考えられる。
当時日本で私は新人で、一回り上の先輩から評価を受ける立場だったので、正しいことを言う勇気がなかった。

イタリアは女性が大事にされていると聞くけれど、こんな話を聞くと全く酷い男尊女卑の国だと思う。
テレビではいつも裸同然の美しい女性が番組の内容に関係なく体をくねらせている。
百歩譲ってセクシーであることは彼女たちの仕事であるが、通訳や営業販売の仕事でセクシーさを無料で提供するのは頼む勘弁してくれ。

尊敬する友人Aから、
「文庫をするなら読み手を女性に限定しないようにね。次世代の子供たちに、本を読んでくれるのはお母さん。子育ては女性の仕事、というメッセージを伝えないようにね。」
と助言された。

今、文庫に実習生として日本語学科のイタリア人学生に二人入ってもらっている。敢えて男子学生と女子学生に頼んだ。

イタリアはまだまだ男尊女卑の国だけど、まずは身近なところから、一歩ずつでも。
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# by ayusham | 2016-11-26 07:59 | 考える | Comments(0)