HIROSHIGE展へ

f0215198_692919.jpg



HIROSHIGE展が来ることはポスターを見て知っていたのだけど、たまたま週末グリマーニ宮殿の前を通りかかったら、ヨーロッパ文化遺産の日で1ユーロの入場料だったので、友人達とふらっと入ってみた。

入って正面に広重の小倉擬(なぞらえ)百人一首が四点展示されていた。小倉擬百人一首とは平安〜鎌倉時代の和歌集を、江戸後期の浮世絵画家達が歌舞伎の登場人物や市井で名の高かった人物になぞらえて描いたもの。浮世絵は今でこそ芸術作品になっているけど、当時はこの感覚って面白かったと思う。今だったらチョイ悪オヤジとかAKBとかが登場するのかな。イラストレーターは誰だろう。

そんなくだらない想像をしながらも、百人一首の意味や掛詞、歌人の置かれていた状況、それらと歌舞伎の共通項をイタリア人に一枚一枚解説していくと大変なことになる。俳句も短歌も訳すと、それがどうしたって内容になるもんだし、無料ガイドは労力の割に報われない。

ふと家に一枚ぐらい浮世絵の複製画があったらどうかなと思った。全部は伝えられないし私も知らないことが多いけど、一枚あったらそこから膨らんでいく話題もあるかもね。
くすんだ煉瓦色の街に住んでいるから、ヒロシゲブルーが新鮮で、余計にそう思えたのかもしれない。

しかし自宅に浮世絵を飾ることに対して、いかにも日本が大好きな外国人の家みたいで躊躇もする。ただいまーと玄関の扉を開けて広重の絵があったら、祖国がとても遠くなってしまう気がする。普通に日本語の本を読んで、コーヒーを飲んでる毎日が幸せなのかな。
[PR]
# by ayusham | 2014-09-22 07:09 | 日々のこと | Comments(4)

ニットカフェへ行く

編み物はよほど複雑な模様編みでもない限り、それだけに没頭するには作業として単純過ぎる。赤ん坊のお守りをしながらスープを煮たり、マニキュアを塗りながら友人と長電話したり、女性の脳はきっとそういう風にできている。映画を見ながらも編めるけど、複雑なストーリーだとちょっとした瞬間に見逃してはいけないシーンがあってタイトル選びが案外難しい。
そう感じていたところ、ニットカフェの存在を知った。

長い間人の手が入らず廃墟となっていた温室が数年前に修復されて、美しい温室に生まれ変わった。その中にカフェも併設されたのである。カフェで水彩画や盆栽など小さなイベントがあり、ニットカフェもそのひとつ。
f0215198_4403215.jpg

その日集まった人達は、初心者からベテランまでニットとの付き合いは様々だったけれど、ある者は残業は持ち帰りにして、ある者は就園前の小さな子どもを夫に預けて、ある者は離島から船を乗り継いで、共通していたのはいつもの生活の中からちょっとだけの犠牲を払って、純粋にニットを楽しみにやって来たことだった。

テーブルに毛糸玉が広げられて、ああ!胸がわくわくする。主催者のCさんがニットカフェの構想を街中の毛糸屋さんに話したところ、あるお店が「いいわね!素敵なアイディア。協力するからニットカフェの広告を貼らせて。」と、毛糸や棒針をたくさん寄付してくれたそうだ。どこのお店?と聞いたら、いつも行く毛糸屋さんだった。あそこのシニョーラは買い物をしなくても、ニットのことなら何でも相談に乗ってくれるから、うんうん、いいお店だよねと皆頷く。

初心者は主催者からメリヤス編みを教えてもらい、他の参加者は編みかけのニットを持ち寄って、それぞれのニット歴を話しながら手を動かした。編み物と一番相性がいいのは、こうした他愛ないおしゃべりだと思う。

こうして自分の楽しみの為だけに出かけるのは本当に久し振りのことで、水上バスから見える風景もいつもと違って見えた。この秋は他のニットに浮気をせず、フクシア色のセーターに専念しよう。
[PR]
# by ayusham | 2014-09-14 22:16 | ハンドメイド | Comments(2)

深夜の水掻き

昨晩遅くまで書き物をしていると、突然激しい雨が天窓に打ち付ける音が聞こえてきた。
嫌な予感。
30分もしないうちにキッチンの天井の隅から雨水が漏れてきた。
横殴りの雨が老朽化した壁面の亀裂から入り込んで来たらしい。

義父母のことが心配になって、隣に住む彼らの扉をノックすると、窓側にある義母の家事室がひどいことになっていた。
地階でもないのに何故か10㎝ほどの浸水があり、既に夫と義妹が必死の形相で水を掻き出している。
これはただごとではないと思い、人数分の長靴を持ってきて私も水掻きを始めた。

どうもベランダの雨樋が詰まってしまい、室内に雨水が逆流してきたようである。
義妹が突然声をあげて泣き出した。
「家が…私の育った大切な家が…」
どう慰めることもできなくて私達は必死に作業を続けた。
雨樋を掻き出すと水はゆっくりその方向へ流れて行った。

しばらくして泣いて気持ちが落ち着いたのか、彼女は
「ここに~(うちの息子)がいたらはりきって働くでしょうね」
と吹き出した。
私も息子が長靴をはいてバゲツリレーに参加する姿を想像して笑ってしまった。
起きている一大事を物ともせず、平和な顔でぐーぐー寝ている義父の姿を見て一同また笑う。

雨樋が詰まって浸水したさ事件は、義父がまだ初期の認知症だった頃に行方不明になった事件や、その後薬が合わなくて大暴れした事件に比べると、家族全員にとってはずっとずっと小さなことだったのだ。

家族のために働きすぎて電池が切れてしまった義父、
未だ現役で家族のためにくるくる働く義母、
感情的になるけど馬鹿がつくほどお人好しな義妹、
父の介護も苦にしない夫に感謝して、
ベッドに入った頃は深夜3時を過ぎていた。
[PR]
# by ayusham | 2014-09-10 18:07 | 日々のこと | Comments(2)

ピアノがやってきた

久しくブログを更新していなかったので数ヶ月前のことになるが、我が家にピアノがやってきた。

娘がコンセルヴァトリオのピアノ個別レッスンの日になると、きまって沈んだ顔つきでお腹が痛いとか足がだるいとか言うようになっていた。ソルフェージュや合唱の日はうきうきと飛んでいく。きっと課題曲が難しくなってきてプレシャーを感じているんだろうなと思った。
マエストラも娘の変化に気づいていたようだ。

ある日私はマエストラに話がありますと呼び出された。
娘のピアノへの取り組みについて何か決定的なこと、悪い宣告のようなものをされるような気がして、心の準備をした。
私はマエストラの言葉が続くのを待った。

シニョーラ、あの子はピアノを欲しがっています。
あの子はピアノが本当に好きなんです。
でもそれを言ったらあなたを困らせることになると思っている。
だからレッスン中に泣きながら弾いているのです。

寝耳に水だった。娘が私に言えないことがあったなんて。
私は娘のところへ行って、娘を抱きしめた。
隣でマエストラも泣いていた。

昨年まで島の外れの小さな賃貸アパートに住んでいた私達は、ピアノを持つことは叶わないことだった。島の中では新しいといっても築300年を超えるアパートにピアノを入れるには、窓枠と周辺の壁を壊してクレーンで釣り上げて運び込むしかなかった。ヤマハの電子ピアノもあったし、娘には音楽院のピアノ室で練習してもらうことで我慢してもらっていた。
しかし、昨年の秋から音楽院へ中国人留学生が大量に押し寄せてきて、練習室を予約することはとても困難な状況になってしまった。彼らには彼ら同士のネットワークがあり、あっという間に練習枠をいっぱいに埋めてしまうのだ。
家の電子ピアノではどう弾いても音色が変わらない。マエストラのレッスンで音の出し方が分からない。

夫も私も友人達もやれ不景気だ、税金が上がったと顔をしかめて話しているし、私と買い物にでかければ節約節約と聞かされて、娘の性格ではピアノが欲しいなんて言い出せなかったのだと思う。親として子どものことは何でも知っているつもりでいた自分が恥ずかしい。

こうして本土のピアノ専門店へ家族4人で何度か足を運び、我が家にピアノがやって来ることになった。
上を見ればキリがなく、選んだのはごく普通のアップライトだけれど、私は胸がいっぱいだった。人生で初めてローン。頑張って働くぞと思った。
ピアノは緩衝材と毛布にくるまれて我が家の螺旋階段を登ってきた。

私の実家には物心ついた頃からピアノがあったので、私はそれを有難いとおもったことがなかった。真面目な学級委員みたいな音がするピアノで、友達の家のキラキラした音色のピアノを弾くと自分もキラキラと可愛くなれるような気がした。初めてピアノの存在に気づいたのは、18で上京した時だ。当時国立大学の管理はそれほど厳しくなかったから、友人達はやはり地方出身者ばかりで深夜までキャンパスにいて、ピアノに触れることもできた。
そんな中で夫と知り合い、私達は音楽科ではなかったけれど、ほとんど毎日二人でピアノ室に通った。
あの頃は二人共ゼミと卒論で大忙し。一番楽しかったことはピアノ室に通うことだった。今それがリビングに繋がっている。
私は心の中で跳ねたくなる。
[PR]
# by ayusham | 2014-08-31 21:44 | 日々のこと | Comments(4)

アイスバケツはかぶらないけれど

今年も日本へ帰国した時に娘を出産した病院で婦人科検診を受けてきた。
イタリアに戻ってすぐ母から「検診結果が届いたので開封したところ、子宮頸がん要精密検査でした。心配なのですぐ病院に行くように!」と電話がきた。

ひええ。電話を切った直後から、いろいろなことを考えた。

私が旅立った後、まずは残される子ども達のこと。
彼らが希望するだけの高等教育を受けられるよう遺言に残さなくては。息子は今ピアノに夢中になっているのでその情熱を保てるようサポートして欲しい。あ!その前に、彼はまだ立って用が足せないんだった。
夫は仕事と子育てとの両立で、悲しみに暮れる暇はないかもしれないが、逆にその方がいいかもしれない...新しい奥さんの為に結婚式アルバムでボツにした式の写真は全部処分しよう。いや、夫はイケメンでも資産家でもないから新しい奥さんは来ないかも。じゃあ今のうちにしっかり和食の基本を叩き込んで一生食事に困らないようにしてあげなきゃ。

待てよ、旅立つまでの治療方針も考えなくてはと思い直した。検診センターに自分の検診結果を問い合わせた所、「細胞の軽度異形成」とのことだった。暑さでタブレットカバーが伸びたように、私の細胞も日本の夏バテで伸びたか。

どういうこと?異形成って何?
よく分からなかったのでネットで自分なりに調べてみて分かったことは、

・子宮頸がん0期に入るまでには細胞の軽度・中度・高度異形成という数年を
 かけての段階がある
・軽度〜中度異形成の間は自己免疫力での可逆があり、軽度の90%は正常に、
 中度の90%は軽度に回復する
・定期的に婦人科検診を受けていれば上記の経過観察ができ(←ココが大事!)
 がんに入る前の高度異形成で対応できる

ということだった。
f0215198_543662.jpg

                   LSIメディエンスさんから画像を借りています

毎年婦人科検診を受けていながら、私は子宮頸がんを発症するまでにどんな段階が存在するのか、それぞれの段階でできる最善のことはどんなことなのかを全く知らないでいた。
幸い軽度異形成の90%は自己免疫力で自然治癒するらしい。
でもこれらのことを知ったからには伝えなければと、大切な友人にメールを書いた。
一年に一度必ず婦人科検診に行くこと。

アイスバケツはかぶらないけれど、誰かにリレーのバトンが届くようにここにも記事にしておきます。
[PR]
# by ayusham | 2014-08-30 05:35 | 考える | Comments(4)