誰が見ていなくても

松谷みよ子さんの児童書が好きだ。
モモちゃんシリーズはちょっとクラシック過ぎるのかな、同年代で共感してくれる日本人ママはいないよね、と思っていたら、なんとお隣に住むイタリア人Aさんがモモちゃんシリーズをイタリア語に翻訳出版していた。

というのは10年ほど前にあった出来事である。
あれからお互いに人生の波を乗り越え、未来へのささやかな希望を語り合い、彼女はかけがえのない友人に、そしてかけがえのない仕事仲間となった。

ある日、私はAさんに
「学生がこんな面白い翻訳をしてね、同僚とみんなで笑っちゃったよ」
と話した。

彼女は決して一緒に笑おうとはしなかった。
「翻訳を笑うなんて、失礼なことだと思わない?」
「あら勿論、学生本人の前で笑った訳ではないよ」
同僚も慌てて「どういう解釈でこんな翻訳になったのか、私たちは話し合ってたの」と言い訳したが、Aさんは続けた。
「本人がいようといまいと、誰が見ていなくても、私はそういうことは絶対にしないと決めているの」

Aさんが信頼できる人だって、改めて思うのはこんな時だ。
真剣な回答、真剣な相談を、見えないところで嘲笑するなんて人として...
彼女の仲間でい続けるのに、恥ずかしくない自分でいよう。
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# by ayusham | 2016-11-21 23:27 | 仕事のこと | Comments(4)

近頃私たちは

子供たちはすっかり大きくなって、私が望む通りでなく、自分たちの思う方向に伸びていっている。
あどけなさはもう消えてしまったけど、私はなんだかほっとしている。
100%おかあさんでいることは、責任が重かったし、先も見えなくてちょっと辛かった。

今の私は母としてはは突っ込みどころだらけだけど、娘にも「子供を持ったら私を思い出してね。完璧を求めたら駄目よ。こうして笑って過ごせたらいいのよ。」と言っている。

数年前から、教育の仕事に戻ることができた。
伸びていく若い人をサポートする仕事は、やりがいがある。

しばらく電車とバスを乗り継いで近郊の高校に教えに行っていたけれど、夫の母校の大学に欠員が出て、非常勤の職を得た。

既に中で働いている先輩からのアドバイスが有難かった。そのことはまた日記に書くつもりだが、彼女に直接恩返しすることは私の力では難しいし、きっと彼女もそんなことは少しも期待しておらず、むしろ忘れているだろう。私がこれから勉強して学生達に返していくしかないと思っている。

覚えることが沢山ある。勉強しなくちゃいけないことがあるということ、成長できるということは長い間それが見つからなかった私には希望が射す。観光地のこの街で、観光の仕事はどこかしっくりこないことを肌で感じていた。

小さいハードルはいくつもあって、若い人が飛び越えやすいように環境を整える。
うまく飛び越せなかったら、それは私の課題だ。
ひとつひとつを財産にしていくと決めた。
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# by ayusham | 2016-11-14 07:05 | 仕事のこと | Comments(4)

永遠の都

tomomatoさんがヴェネツィアにいらしています。
なんと同じ時期にローマに滞在していたことが判明!どこかですれ違っていたかもね...

tomomatoさんのカメラの調子が悪かったようなので、代わりに私が永遠の都ローマの写真をupしておきましょう。

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物乞いの女の嘘と霧雨と全て飲み込む古代遺跡は
浅黒き肌の傘売りよけながら旅人は探す枯れたトレヴィを
雨上がり濡れた花びら異教徒の我にも鐘の音は降り注ぐ

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# by ayusham | 2015-04-16 16:57 | 旅行 | Comments(0)

アラベスク

日本の実家にあったピアノの楽譜を、これから息子が使うかもしれないなと思って何冊かスーツケースに入れてイタリアに戻ってきた。

私が子どもの頃習っていたピアノの先生は、当時の住宅街では珍しい洋風のお家に住んでいて、いつも身なりを綺麗にしている若い先生だった。私のように練習もせずのほほんとやって来る生徒には困っていただろうな。
懐かしのブルグミュラーを開いたら、先生の楽譜への書き込みの筆圧が強過ぎて、精一杯の力で消しゴムを当てても消えない。アラベスクには、ラスト部分何もここまで強調しなくてもいいだろう、というぐらいのクレッシェンド記号が加えられている。あれは練習してこないで私への苛立ちでもあったのかもしれない。
娘がそれを面白がって、大げさな強弱記号をつけてアラベスクを弾いてみせる。

アラベスクにはもう一つの苦い思い出がある。

私が預けられていた保育園は体を育てることに力を入れていたらしく、園児に裸足で泥遊びをさせたり、裸で水遊びをさせたりする教育方針で、私はそういうことが苦手な子どもだった。保育士は裸足でもなく、水着を着ていて子ども心にもなんて不公平なんだと思っていた。

午後には体育室でリトミックがあり、保育士の弾くアラベスクに合わせて側転運動をしながら体育室を一周する慣しがあった。心の準備と助走は最初の2小節のみ、出動の順は決まっているので遅れることは許されない。私はこのアラベスク体操が怖くて、この時間は教室の隅に隠れていつも震えていた。

その保育園では場面寡黙だった。
保育士に何か話しかけられても首を縦か横に振ることしかできなかった。

「だからママは友達に、人形と同じだって言われてたのよ。」
子ども達に話すと、息子はむっとした顔をして
「何だよそいつ、どれぐらい馬鹿」
(イタリア語の影響で息子は時々こんな言い回しになる)
娘も同じようにそれはないわ、と言う。

場面寡黙だった頃の話をすると大抵、「えーそんな時代があったの」と驚かれることが多かったので、子ども達の反応が意外だった。混血の子ども達は日本、イタリアどちらに行ってもなんとなく周りと違うと感じているのか、同じくマイノリティの子どもに共感しやすいのかもしれない。
あの頃、親にも保育園が辛いと言えずにいて、長い年月がたって自分の子ども達が小さな私のところへ手を繋ぎに来てくれたような気がした。自分の子ども時代を編み直してくれるのが自分の子ども達だなんて、生きてると面白いことがあるなあと思う。
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# by ayusham | 2014-09-24 18:28 | 日々のこと | Comments(6)

HIROSHIGE展へ

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HIROSHIGE展が来ることはポスターを見て知っていたのだけど、たまたま週末グリマーニ宮殿の前を通りかかったら、ヨーロッパ文化遺産の日で1ユーロの入場料だったので、友人達とふらっと入ってみた。

入って正面に広重の小倉擬(なぞらえ)百人一首が四点展示されていた。小倉擬百人一首とは平安〜鎌倉時代の和歌集を、江戸後期の浮世絵画家達が歌舞伎の登場人物や市井で名の高かった人物になぞらえて描いたもの。浮世絵は今でこそ芸術作品になっているけど、当時はこの感覚って面白かったと思う。今だったらチョイ悪オヤジとかAKBとかが登場するのかな。イラストレーターは誰だろう。

そんなくだらない想像をしながらも、百人一首の意味や掛詞、歌人の置かれていた状況、それらと歌舞伎の共通項をイタリア人に一枚一枚解説していくと大変なことになる。俳句も短歌も訳すと、それがどうしたって内容になるもんだし、無料ガイドは労力の割に報われない。

ふと家に一枚ぐらい浮世絵の複製画があったらどうかなと思った。全部は伝えられないし私も知らないことが多いけど、一枚あったらそこから膨らんでいく話題もあるかもね。
くすんだ煉瓦色の街に住んでいるから、ヒロシゲブルーが新鮮で、余計にそう思えたのかもしれない。

しかし自宅に浮世絵を飾ることに対して、いかにも日本が大好きな外国人の家みたいで躊躇もする。ただいまーと玄関の扉を開けて広重の絵があったら、祖国がとても遠くなってしまう気がする。普通に日本語の本を読んで、コーヒーを飲んでる毎日が幸せなのかな。
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# by ayusham | 2014-09-22 07:09 | 日々のこと | Comments(4)