バルトリン腺摘出手術その2


病室は二人部屋で、隣のベッドの女性も同じくバルトリン腺膿瘍で一日前に入院し、私の直前に手術だった。
綺麗なミラノアクセントのイタリア語を話し、携帯で恋人とフランス語で会話していた。
(どうして携帯の相手が恋人であることが分かったかというと、愛の言葉はイタリア語だったからだ。)

彼女はミラノ出身、パリ在住のファッション雑誌編集者で、クリスマスを母親の実家であるヴェネツィアで過ごしていたところ、不幸にもバルトリン腺膿瘍を患ってしまったそうである。
自分はイタリア人であるけれども、パリでの暮らしも10年を超え、恋人も仕事もそこにあること、よその土地でこんなことになってしまって、早くパリに戻りたい...と彼女はこぼした。東京で同じ境遇だったから、彼女の痛みと不安に共感した。

お互い同じ時期に同じ環境で同じ病気にかかり同じ日に手術したことで、私達には強い仲間意識が生まれた。たった4日間だったが、お互いに励ましあい、頑張れたことは心強かった。

バルトリン腺摘出手術であるが、これは日本で受けた開窓術に比べずっと大きな手術である。しかし、日本では術後痛みで唸っていた記憶があるが、今回はそのようなことは全くなかった。イタリア人が痛みに弱く、痛みに対する対策が万全なのだろうか。術後の痛み止めの点滴と、翌日に錠剤を2度服用しただけで、痛みに苦しむことはなかった。
切開部分はそれなりに腫れたが、出産時の会陰切開と変わらないだろう。傷跡については、今後婦人科か形成外科の医師でなければ手術したことさえ分からなくなるように思う。これから手術を予定している人は心配し過ぎないで欲しい。

Ascesso della ghiandola del Bartolino バルトリン腺膿瘍
Marsupializzazione della ghiandola dela Bartolino バルトリン腺開窓術
Ectomia della Ghiandola del Bartolino バルトリン腺摘出手術

手術後12日目の今日は仕事を再開し、高校生達と動詞の勉強をした。
抹茶味のキットカットを、食べる、食べます、食べません。
立ち仕事も、電車に揺られても大丈夫。勿論、無理しないように気をつけるけれども。

今年はサステナビリティを意識して生活したい。
何事に対しても、感じ過ぎて感情の振れ幅が大きくなっては駄目なのだ。
手に負えないこと、ひと。自分のリミットを越えたら、手放してしまおう。

病食が年末メニューになっていくラザニア、レンズ豆の煮込みなど
傷口を見るのが怖くて消毒をする時に少し触れるのがやっと
空き缶の数だけ語り合ったからもういいよもう捨てちゃえばいいよ

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# by ayusham | 2018-01-10 04:52 | 日々のこと | Comments(6)

バルトリン腺摘出手術その1

下ネタを書くべきか迷ったが同じ経験をした女性のブログに励まされたので、同じように不安な思いをしている女性へこの記事を書く。

結婚生活、新社会人生活、どんな楽しい出来事だって体にはストレスだと聞いたことがある。
そう、私はクリスマスバカンスをひとり日本で過ごし楽しさ最高潮、しかし最終日前日、外陰部に鈍い痛みが来た。

2年前に左側のバルトリン腺開窓術を受けていたので、右側に来た痛みが何なのか受診する前にもう分かっていた。
新宿の婦人科で応急処置として膿を抜いてもらい、抗生物質の点滴を受ける。
「次回、夏に帰国した時に開窓術を受けたいのですが...」
「そんな呑気なこと言っては駄目!これは単なる応急処置で明日まで持つかも怪しいよ。在住国ですぐに適切な処置を受けなさい!」
お医者様に説教をされる。

健康を過信していて保険証が手元になかった。自費診療だったが、薬代も含め1万円程度で済んだ。
アメリカだったらどうなっていたことだろう。

イタリアに戻ってすぐ救急を受診する。
日本と同じく応急処置として膿を抜いてもらい、10日後の手術が予定された。
支払い€45は高いと思った。
10日間通い続けたら€450かよ。
しかし10日を待たず腫れと痛みは戻ってくる。

救急受診2日後、激痛で体を曲げることもできなくなり、体を引きずりながら再び救急を受診。
そのまま入院、同日の手術が決まった。
痛みが強すぎて手術の怖さなどなく、激痛から解放されることへの安堵しかなかった。
入院になるとは予想していなかったので、夫に洗面用具やパジャマを持ってきてもらった。
今回の受診、手術、入院費用は全て無料で、EU市民であることの恩恵を感じた。(いや給与天引される税金を考えると納得だが...)

入院してみると、看護師から「あなた日本人?私のいとこが日本人と結婚してるのよ」と言われ、その日本人が20年来の友人であったり、息子を出産した担当医が回診に来たりと、なんだか自分のホームはもうイタリアなのだなあと思えた。
そういえば、日本で応急処置を受けた時も、私は'Madonna santa~!' 'Aiuto~!'等イタリア語で叫んでいた。
羽田、パリ、ヴェネツィアのフライトも痛みで殆ど記憶にない、空港バスや水上バスに乗ったことさえも。
まるで羽を傷めた渡り鳥のように私は命からがらホームに帰ってきたのだ。

ちなみにイタリアの婦人科は日本と違ってカーテンの仕切りがない。触診をする直前まで、医師と看護師が「お昼何食べる?」「私の勤務条件、もうやってられないわ」「ねえ?」など患者も交えて日常会話をするので、リラックスできる。私はカーテンに仕切られた外陰部だけの存在ではないのだ。私にもランチタイムがあり、なかなかしんどい勤務条件がある、一人の人間なのだとイタリアの病院では思える。


痛むのがそこだけだったらいいのに西新宿レディースクリニック
鎮痛剤飲むタイミング見計らいクリスマスはパリ・シャルルドゴール

つづく
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# by ayusham | 2018-01-07 01:56 | 日々のこと | Comments(6)

スウェーデンのニット

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クリスマスプレゼントにスウェーデンのマフラーを編んだ。
シャールという、一枚の編み地を伏せ止めではぎ合わせたもの。

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# by ayusham | 2017-12-17 03:20 | ハンドメイド | Comments(0)

My dear friends

今週誕生日を迎える私は、夫から
「何を贈ればいいかな。欲しいものがないなら、一緒に何か見に行こうよ。」
と言われて、小雨の中腕を組んで街を歩いた。
夢のように楽しかった夏が終わって、寂しいようなほっとするような空気だ。

「仕事用の鞄が欲しいかな。スリに遭わないように、しっかりファスナーが閉じるやつ」
純朴そうな私(一見ね)はスリの恰好の餌食なのだ。
色々見たけれど、バッグインバッグが納まらなかったり、それで形が崩れたり、私の背丈には微妙に大きすぎたりで、どこかで妥協しなければならないものばかりだった。

家に帰ってクローゼットを秋冬物に替えていると、奥の引き出しから調度自分が探していた鞄が出てきた。
数年前に地元の某ブランドをアウトレット価格で買ったのをすっかり忘れていた。
それなら、ちょっとしたお出かけ用の小さい鞄があるといいかなと思った途端、その鞄の隣から、これまたお気に入りブランドの調度欲しかった鞄が出てきた。昨年、札幌で思い切って買ったものだ。

自分の記憶力の欠如に笑ってしまった。

夫とは20年以上一緒にいるので、付き合い始めにもらった可愛らしい指輪から、義母から譲り受けたアンティークアクセサリーまで、十分すぎるほどある。
欲しいもの、何かなあ。

きっと欲しいものは誰にも期待されていない自由な時間だったり、お金では決して買えないものだったりするのかもしれない。

最近は日本在住の女友達とチャットするのが楽しい。
若い頃はいろいろな点で彼女たちに負けたくないと思っていたけれど、人生の半分を過ぎてどこかに傷を持つ私たちは戦友だ。

友人達に再会した時に、みっともなくても、少しでもましな自分でいたいと思う。
今年の誕生日に欲しいものは、素直さと向上心です。
友人達よ、これからもよろしく。

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# by ayusham | 2017-10-03 16:57 | 日々のこと | Comments(0)

ルチア

日本から帰国したら、義母ルチアの認知症が数段抜かしで進んで入院することになってしまった。

帰国してすぐ病院に飛んで行ったら、ルチアは目の前の誰のことも分からないのに、孫二人のことはすぐに分かって驚いた。
孫以外に現実を認識するものはないけれど、彼女の瞳も肌も相変わらず美しくて、独り言は相変わらず誰かを気遣っていて、彼女らしさは変わらなかった。
同じく認知症を患った義父は仕事場に戻りたくていつも怒っていて、本人が一番苦しそうだった。
だから自分が寂しいことよりも、彼女が穏やかでいることに目を向けよ自分。

ルチアの家は同じ建物の同じフロアのお隣である。
年代物の家具に、磨かれた銀細工(イタリアでは人生の節目のお祝いに銀製品を送ることが多い)、銀細工が家具を傷めないように敷かれたブラノ製の手編みレース。小さなテラスにはペチュニアの花が満開で、壁を挟んでお隣とはいえ、実用優先の我が家とは全く雰囲気が異なる。

雨戸を閉めていると、築400年の家はすぐにお化け屋敷みたいになってしまうので、毎日窓を開けて風を通すようにしている。
苦手だった庭仕事(と言っても朝に花がらを摘んで晩に水やりをするだけなのだが)も続けてみると、なんとなく花の気持ちが分かってくる。花の手入れをする人の気持ちも。

ルチアは緑の指を持つ人なのだ。私の鉢植えが死にそうな時、いつも彼女に助けてもらった。
助けてもらったのは鉢植えだけでなく、それはもう恥ずかしいくらい自分自身もだった。
私が彼女のことをルチア、tu(敬称ではなく二人称)で呼ぶのは、敬称もイタリアの何も知らない頃に彼女に出会って、全部受け入れてもらったからだ。
だから「彼女なしでヴェネツィアに生きること」は、ちょっとまだ想像したくない。
ルチアが立っていた場所、視線で花の手入れをしながら、そんな日が遠く遠く、見えない所にあって欲しいと願う。


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# by ayusham | 2017-08-21 06:48 | 日々のこと | Comments(2)